自然界と虚数

 以前の記事で「虚数は存在する数です」と述べましたが、そもそも数学自体が抽象概念の世界ですから、その中で(きちんとした演算規則を定めて)存在を定義してしまったら、そりゃ当然その瞬間から「存在する」ことになってしまいます。

 とすると、虚数というのはあくまで数学という恣意的なルールの枠組みの中にのみ「存在する」概念なのでしょうか? むしろそう割り切ったほうが「これはあくまでルールなんだね」と受け入れやすいかもしれません。将棋やチェスで駒の動き方を定めているようなものですから。

 ところが必ずしもそう言い切ることのできない複雑な事情があります。数学は自然界と(完全に一致しないまでも)上手く対応するように構築された概念だからです。たとえば

1 + 1 = 2

という規則は、2 頭の馬、2 つの石ころ、或いは 2 人の人間というような存在に対応して「同じ種類のものを 1 つずつ合わせて 2 と名づける」と定められたと考えられます。ただし数学における「 1 」という概念は、どの「 1 」をとっても完全に同質なものです。「 1 + 1 = 2 」は「完全に同じものを合わせて 2 とする」という極めて厳密なルールです。完全におなじ姿形の馬や石ころなど存在しませんから、数学黎明期においては「 1 」と、観測できる自然界の対象物との隔たりは非常に大きかったといえます。とはいえ、そのような環境で見たこともない「 1 」という抽象概念を作り出した人類の能力は素晴らしいものです。

 20 世紀初頭になって物理学が急速に発達すると、人類は自然界の中にも数学の「 1 」に近い物を見出すようになります。原子や陽子、電子の発見です。といっても直接見たわけではありません。実験の結果を慎重に検討して「あらゆる物質は原子という素材によって構成されているに違いない。そして電子は原子核(陽子と中性子)の周りをめぐるはるかに小さな素材である」と確信したのです。そしてこの電子の姿形はどれをとっても「そっくり」です。見分けなんてつきません。電子の性質を現代の測定技術で測ってみると、

   静止質量 me = 9.109534 × 10-27 kg
   電荷 e = 1.6021892 × 10-19 C

という値となります。これはどの電子をとっても同じです。少なくとも観測技術の範囲内では一致していることが確実です。このように限りなく「 1 」という概念に近いものを発見して間もないうちに、電子などの極微の世界の運動を記述する「量子力学」が登場します。

 ミクロの世界の運動法則はとても奇妙なもので、皆さんも学校で習ったあの有名な

F = ma

というニュートン力学の運動方程式では、もはや説明がつかないようになってしまいました。代わって登場したのがシュレーディンガー方程式(簡単のために 1 次元 1 粒子系としておきます)です:

 1次元シュレーディンガー方程式

 現代の物理学を専攻する(3年生以上の)学生さんは、主にこの方程式をベースに勉強や研究を進めていると言っても過言ではありません。さて、もちろん皆さんは頭についている「 i 」という文字に目をとめたと思います。もちろん虚数単位の「 i 」ですよ。

 物質の運動を記述する最も基本的な方程式に虚数が含まれているのです。20 世紀初頭、それまで数学上の抽象概念に過ぎないと思われていた虚数が物質世界の基本法則としていきなり目の前に現れたのです。量子力学では種々の条件のもとでシュレーディンガー方程式を解いて波動関数 Ψ(x, t) を得るのですが、この Ψ(x, t) もまた一般に i を含んだ複素数です。

 ただし残念ながら虚数が観測数値として現れてくるわけではありません。私たちが知ることができるのは、|Ψ(x, t)|2 dx という、「ある時間 t にある場所 x ~ dx で粒子が見いだされる確率」(ボルンの解釈)だけです。ですから、波動方程式に含まれる i や、その解 Ψ(x, t) 自体は物理的意味をもたないという解釈が主流です。

 しかし私個人的には、むしろ本質は Ψ(x, t) そのものにあって、 |Ψ(x, t)|2 は副次的なものに過ぎないのではと考えたりもします。そう捉えたほうがシュレーディンガー方程式と素直に向き合っていると思えるのです。私たちが自然界の全てに触れることができる(観測可能である)というのは、ある種の先入観のようなもので、実際には自然界は複素数によって構成されていて、私たちが触れられるのはその「実数部分のみ」と考えるのは ...... 飛躍しすぎですかね? ぜひ皆さんの意見も伺いたいのでコメントください。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください